キブツボランティア編
吾妻治季さんに聞きました (2018年4月~在キブツ)
- イスラエルに行く前の印象と今の印象は変わりましたか?
- 僕のイスラエルの印象は最悪でした。というのも高校時代に一人のジャーナリストが来校した際、その方が「ガザ」を主軸に講演を行ったからです。日本のニュースではガザがどうのこうのとよくやっていますがその際には、決して「リアル」な写真を目にすることはありません。しかしジャーナリストの方が見せてきた写真は、悲痛にくれる人々やグロテスクで生々しいものでした。僕は怒りと悲しみを感じました。こんな悍ましい国があっていいのかと。
バラムナショナルパークにて
しかし実際に行ってみると、悍ましさなど微塵も感じさせない国民性をもった人々でした。軍人が町にあふれていますが、高圧的な様子はありません。思っていた光景はまるで違いました。爆撃も聞こえません。イスラエルの人々にガザついてどう思うと聞くと「早く解決して、仲直りしてほしい。」と言っていました。どこの国でもそうですが様々な問題を抱えています。そして誰しも攻撃したくて攻撃していません。平和な国を望んでいます。しかし彼らはガザを見たことすらありません。人々は政府に振り回されていて、なんだか悲しい気持ちになりました。 - キブツでの生活で印象に残る出来事、エピソードは?
- キブツは元々、ユダヤ教の人々が始めたものなので、圧倒的にユダヤ人の数が多いです。お祝い事やその他の様々な行事はユダヤ式なので日本とはまた違ったものを楽しむことが出来ます。例えば10月にお正月が来ます。その際は、3日にわたって店や公共機関がストップします。人々は踊りながらお酒を飲み、楽しみます。日本では20歳からのお酒がイスラエルでは18歳からなのでお酒をよく飲みました。キブツ内に小さなパブがありそこで1本目は無料でオーダーすることが出来ました。そしてよく戻しました。
エルサレムにて
当たり前ですが住まわせてもらっている以上、働かなくてはいけません。ボランティアはそれぞれ働くが人によって異なるため、帰ってくると職場でもらったアーモンドやリンゴなどをみんなでシェアし好きに食べることが出来き、会話もはずみました。
一か月に一回、キブツのオーナーがボランティア全員を旅行に連れて行ってくれました。イスラエルやエリラット、ナザレに行きました。また、各々個人で旅行したい場合はオーナーに言えば好きに旅行が出来ました。
イスラエルの休日は金曜と土曜です。金曜日の夜はシャハットと呼ばれ主に白い服を着、夕食に出ます。その日だけは、誰しもが普段よりちょっとおめかししていました。 - キブツ生活で困ったことは?
- 僕のいたキブツではかなり英語が浸透していましたが、中には喋れない人もいるのでそういった人とどう、コミュニケーションをとっていくのかが重要でした。また当初は英語もろくに喋れなかったのでボランティア内でのコミュニケーションにも苦労しました。
- 他国のボランティアの人たちの行動で印象に残ったことは?
- ボランティア(僕のいたキブツ)は6割が南アフリカ、3割がラテンアメリカ、3割がその他でした。育ってきた環境、国、が大きく異なるため異文化を知るいい機会となりました。その点で、様々な問題も浮上し、話し合いを重ねました。
友達のヴァジム(モルドバ)
★エピソード①★
僕がまだ英語もろくに話せなかったとき、体調を崩してしまい高熱が出ました。その際にアイルランドの友達が僕を看病してくれました。言葉も全く聞けなかったけど、そのやさしさが本当にうれしかったです。ボランティア同士で助け合うことが出来る共同体でした。
★エピソード②★
ボランティアでそれぞれの国を代表する料理を作った時が面白かったです。僕は寿司(ロール)を作りました。どうやら好評だったようで、見様見真似で寿司を作る人が...。もちろんこめの炊き方を知らず不味い寿司が出来上がってましたが...。 - キブツにいる人たちとの印象に残ったことは?
- 僕は基本的にキッチンで働いていたので、キッチンの人々と関わる機会が多かったです。ロシア人やアラブ人、オーストラリア人、エチオピア人、勿論イスラエル人もいて、国際色(食?)豊かなキッチンでした。彼らは明るく元気でした。余計な老後の心配をしなくていいからでしょうか?とにかく楽しい時間を過ごすことが出来ました。仕事以外では日本人は珍しいとよく人が来て「話そう」と声をかけてくれました。
死海近くの砂漠にすむアイベックス